ふぁくとりーNolleyが誕生するまで


はじめまして。ふぁくとりーNolleyの店主・筒井永英(つついのりえ)です。

熊本県天草市有明町に住んでいます。

私には柑橘栽培をしている夫と保育園に通っている2人の子どもがいます。

 

私たちが天草に移住したのは2016年6月。

 

出身は神奈川県横浜市。

 

父の仕事の都合で横浜以外の場所に住んだこともありますが、大人になるまで街中にしか住んだことがありません。

 

そんな人が田舎で生活できるのか?

 

たいていの人は疑問に思うでしょう。

 

実際に出身が横浜だと言うと、天草の人は驚きます。

 

横浜といえば住みたい町ランキングで上位に入る人気の場所。

「なんでわざわざ?」と思うのは当然のことかもしれません。

 

実は地方への移住は、天草が2カ所目です。

2014年から2016年に天草にやってくるまでは、香川県の小豆島にいました。

 

なので、田舎での生活は天草がはじめてではないんですね。

地方への移住というと「都会での生活に疲れた人が、自給自足なスローライフに憧れて」と考える人が多いかもしれません。

 

私の場合はちょっと事情が違うんです。

 

長くなります!  

1分40秒ほどの動画を作ってみました。まずはこちらをご覧ください。

1.横浜出身のわたしが天草に移住した理由

 

街でしか生活したことがなかったわたしの、ターニングポイントとなった3.11

 

地方への移住を考え始めたきっかけは、2011年の東日本大震災でした。

当時、私は東京・霞が関にある国土交通省の職員でした。

 

東京は震災の直接の被害はありませんでしたが、当然、その日は自宅に戻ることはできませんでしたし

 

物流が滞っていたのでしばらくの間は買い物に出ても食料品や生活に必要なものが品薄な状態が続きました。

 

計画停電のため数日は通勤もままならない状態。

 

そこで私が感じたのは

 

「確かに都会の生活は便利で楽しい。けれど何かあったとき、一番影響を受けるのは都会に暮らしている人かもしれない」

 

東日本大震災はわたしにとって価値観を180度変える出来事でした。

 

それまでは地方での生活なんて考えたこともありませんでした。

それなりの学校に行き、優秀な成績をとっていい職に就くことこそが、安定した人生を送れる条件だと思っていたからです。

 

しかし、地震のような未曾有の出来事が起きたとき「都市部でサラリーマン」は全然安心できない職業だと感じました。

インフラが寸断してものが手に入らなくなったら、多少のお金があっても一般の人は食べ物さえ満足に買えない状況になります。

 

「これまで信じていたものはなんだったのか」頭をガツンと殴られたような気がしました。

 

この出来事をきっかけに、少しずつ地方での暮らしを考えるようになったのです。 

「会社員ではなく一生続けられる仕事をしたい」と考えるパートナーと出会う

 

そんなときに「会社員ではなく一生続けられる仕事をしたい」と考えている夫と知り合いました。

 

夫は農業で生計を立てていくことも考えているという話をしていましたので、

 

私の地方行きを実現するには、これだ!と思いました。笑

 

作物は何がいいかという話をしていたときに、たまたまわたしは山梨でぶどうの栽培をしている人の本を読みました。

 

本を読んで野菜は収穫までが早いけれど、出来始めたら作業に追われることが分かりました。

 

そこで「野菜よりも、木になる実を収穫するタイプの果樹がいいのでは?」などと考えた結果、オリーブにたどりつきます。

 

日本でオリーブといえば小豆島ですよね。

 

ということで、小豆島の生産者の方とのつながりをつくりました。

それから数年を経て、まずは夫が一人で小豆島に行くことになったのです。

  

一方、私は上の子どもが生まれたばかりのときで育児休暇中でした。

初めての子育ては見聞きしていた以上に大変。

 

実母はすでに亡くしていましたので、親には頼れません。

 

これで1年後に復帰したら、毎朝満員電車に乗って通勤を再開しなければならないこと、辞令が出たら転勤にも対応していくのは私には無理だと思いました。

 

3.11後は地方への移住を考えていたこともあって、夫の小豆島行きはチャンスだったのです。

退職して小豆島に行くのは自然な選択でした。

 

ただ、私は土いじりは嫌いではないものの「仕事」としてやっていける自信はありませんでした。

そもそも、農業は自然の影響を受けやすい。

 

異常気象や動物の被害があったら収入は激減します。安定しない職業です。

 

そこで「はじめから夫は農業、私は何か別のことを」という考えでいました。 

農家出身でない人が農業を始めるのは、実は、難しい

 

小豆島に行って2年経ったとき、夫は本格的に就農することを考え始めました。

 

農業は特別な資格などが必要ない職業なので、やろうと思えばすぐにでも始められると思われるかもしれません。

 

確かに、実家が農家ならそれほどハードルは高くないでしょう。

 

しかし、農家出身ではない人にとって、農業を始めるのは案外難しいことなのです。

 

就農するためには、まず、作物を植えるための土地を見つける必要があるからです。

 

田舎では農地をすぐ貸してくれる人はなかなかいません。

 

まずは土地になじんで、地元の人との関係づくりから始めます。

仮に貸してくれる人が見つかっても農地を借りるときは地主と契約して終わりではなく、農業委員会の承認も受けなければなりません。

 

少子高齢化が進んでいる田舎には耕作放棄地はたくさんあります。

が、耕作放棄されるのは決まって条件の悪いところからです。

 

水を引きにくい場所にある、斜面が急なところなど。

 

小豆島でもそういうところは見つかりましたが、すでに長年農地として使われていないところは草ボーボーどころか、林の状態。

重機を入れて開墾しなければならないような場所でした。

 

それなら無理してまで農地は借りない方がいい。そう思いました。

しかも、果樹は植えてから実がなるまでに数年かかるのが一般的です。

小豆島では植えたばかりのオリーブの木が野生のイノシシや鹿に食い荒らされるという被害も頻繁に起きていました。

 

これからどうしようか。

 

その矢先、再び運命の出会いがありました。オリーブ栽培をはじめた天草市の視察団が小豆島にやって来のです。

たまたま夫のいたオリーブ生産者が、視察団の受け入れ先の一つだったこともあり天草の人たちと話をする機会に恵まれました。

 

話をしているうちに、天草は移住者の誘致に積極的なこと、関東から来た夫に興味を持ってくれていることが分かりました。

 

「これから農地を探すなら、天草もいいよ」そう言われた夫が

 

「農地は小豆島にもたくさんあるんです。ただ、開墾が必要なところばかりで。高齢などで辞めるから譲ってもいいという農地があればいいんですが。農地だけでなく近くに家があれば考えやすいですね」

 

と言ったそうです。

 

天草市の人との会話を、夫は冗談半分に話していましたが私は「小豆島にいても決して状況はよくなるわけではない」と本気でした。

いい話があったら行くべきと思っていました。その数カ月後、なんと天草市の職員の人が本当に探して来てくれたのです。

 

すぐにでも使える畑と家があるなら行った方がいい。

 

ということで、天草市の人と出会ってからほんの数カ月後には天草行きが決まりました。

どこに住むかではなく、何ができるかで選んだ天草の地

 

そんなわけで紆余曲折を経てやってきた天草。

 

夫は無事農地を借りることができ、天草で柑橘栽培をやっていくことになりました。

 

移住者誘致に積極的な天草には多くの移住相談者がやって来ます。

 

天草市の職員の方とご縁をいただいて移住した私達のところには、移住窓口を通じて相談者の方も話を聞きにいらっしゃいます。

 

その方々のお話を聞いて気づいたのは「何をしたいか」や「何ができるか」ではなく「どこに住むか」ありきで考えている人がとても多いこと。

 

住むということはレジャーではなく、生活です。ということは、仕事がなければなりません

 

海がきれいだから、食べ物がおいしいから、温暖な気候だから

 

これらはきっかけにはなっても、決定打にはならないと思っています。

 

変な言い方かもしれませんが、私達は決して天草が好きだから天草に来たのではありません。

自分たちのやりたいことが天草ならできる可能性が高い、そう思ったから来たのです。

 

ただ、私たちを受け入れてくれた天草の人たちには感謝の気持ちも持っています。

 

なので、天草で生きていくからにはなにか地元の役に立つことをしたいと考えるようになりました。 

2.ふぁくとりーNolleyをオープンした理由

ふぁくとりーNollyのミッションその1

 

ふぁくとりーNolleyは、天草の食材をふんだんに使ったベーグルが特徴のベーグル屋さんです。

 

天草では手に入らないもの、たとえば小麦粉は九州産のものを使っていますが、それ以外の、たとえば塩も天草の天日塩を使っています。

 

天草に来て驚いたのは、食材の豊富さです。

 

写真は有明の海でとれたひじきを干しているところ。

 

有明海、八代海、東シナ海の3つの海に囲まれている天草では地域によって気候も大きく異なります。地域の中でも気候が異なる天草では、海のものも山のものも季節に応じてさまざまな食材が手に入ります。

 

でも、地元の人にとってそれは当たり前。

 

産直に行くと、横浜のスーパーなら絶対にこの値段では買えない、というような信じられないくらい安い値段で売られています。

 

消費者目線で見れば、安く食材が手に入るのはいいことだと思いますよね。

 

問題は、それが安すぎることです。

 

 

天草では物々交換も普通にされているので「お金を出して食べ物を買う」という発想があまりありません。

地域の中ですべてが完結しているのなら、それで問題ないという考え方もあるでしょう。

 

ところが、実際には産直に納品するにも車とガソリンが必要ですし、食品を入れる袋も買う必要があります。

車やガソリンは外から仕入れているので、いくら物々交換が盛んでもお金ゼロで生きていくことなど不可能なのです。

 

地方は都市部よりも最低賃金が低いことは知られています。

熊本県の最低賃金は762円(2018年10月現在)。

 

東京の求人広告では、時給1000円以上は珍しくないことをふまえるとずいぶんな違いがあると感じます。

 

それは生活コストの違いと説明されることが多いですが、それは大きな勘違い。

 

実際はほとんど変わりません。田舎では一次産品は安くても、日用品の値段は都会とそれほど変わらないからです。

 

一方で、都会の方がコストが安く済むこともあります。

 

都市部は家賃が高いですが、公共交通が発達していることと人口密度が高いので、生活に必要なものを手に入れるのに車は必ずしも必要ありません。

その点、田舎は一人一台車がないとどこにも行けません。人の数だけ車が必要なので、その維持コストもバカにならないのです。

 

それなのに、どうしてこんなに安いんだろう、と思いました。

 

趣味ならそれでも特段問題ないのかもしれませんね。

けれども、移住者を増やしたいと考えているのなら、問題です。

 

せっかく若い人に来てもらってもその安い値段では生活していけないからです。

私のできることなんて、ほんの小さなことかもしれません。

 

それでも「価値あるものには適正なお金を払う」という文化を広めていきたいと思いました。

 ふぁくとりーNolleyのミッションその2

 

2つ目は、高齢化の進んでいる天草の現状に強い危機感を覚えたからです。

 

私たちが生活している集落には小さな子どものいる家がありません。

 

ほぼ全員が70代以上の高齢者です。

 

昨年の春に、近所の小学校が閉校になりました。

 

数年後、我が家の子どもたちはスクールバスで小学校に通うことになります。高齢化が進むと大変なのは、道路などのインフラの維持です。

 

私の住んでいる地域では、国道沿いの草刈りを地域でやっています。

  

そういう状態で、若い人が入ってこなかったらどうなると思いますか?

 

おそらく、このままいけば草刈りをするのは我が家だけになるでしょう。

道路だけでなく、人のいない地域に水道や電気などのインフラを通すだけの財政的なゆとりは行政にもなくなっていくのは目にみえています。

 

私は小豆島にいたときから天草に来てからの約3年、地域のことを知るために保険の営業をしていました。

法人向けの保険だったので、必ず経営者に後継者がいるかどうかをたずねます。

すると「後継者はいない」という会社が多くて、そのことにますます危機感を感じるようになりました。

 

一刻も早く、自分にできることを始めなければと思いました。

 

たぶん、こういう状況は天草だけでなく日本全国どこにでもある問題だと思います。

 

ただ、天草の場合は高校卒業後の進路が域内にないことが事態を悪化させています。

若い人が外に出ていく仕組みになっている上に、若い人が生活していける環境になっていないので外に出た人がなかなか戻って来ないのです。

 

人を増やすのに移住者を増やすことは大切です。

けれども、それは簡単なことではありません。

 

観光客に来てもらうにしても、ホテルや観光地で働く人がいなかったらそれ以前の問題です。

 

そこで考えたのが

 

  • 価値ある産品に適正な対価を支払うことで、この地域にいる高齢者にやりがいを持ってもらい、できるだけ長く元気でいてもらうこと
  • 外からやってきた私たちが「ちゃんと」生活を確立し、その様子を外に発信して天草に興味を持ってもらい、実際に足を運んでもらう人を増やすこと

 

でした。そのための手段の1つがふぁくとりーNolleyなのです。

3.ふぁくとりーNolleyの名前の由来

ふぁくとりーNolleyでは、ベーグル以外の加工品も作って販売したいと考えていました。

 

食品の製造や加工からはじめても、将来的には人とのつながりを生み出す場所にしたいとも思っています。

 

なので、商品が限定されるような名前のつけ方は避けたいと思いました。

 

もう1つのポイントは、すでに個人事業主として屋号を持っている夫との事業的なつながりです。

 

夫の屋号は「天草農工房ふぁお

 

柑橘生産者である夫とわたしの事業は別々ですが、それぞれまったく関係ないことをしているわけではありません。

 

屋号からもつながりを感じられるネーミングにしたいと思いました。

 

そこで、同じ音の「ふぁ」から始まる単語であり、さまざまなものが生まれる場所である「ふぁくとりー」という言葉を選びました。

 

Nolleyはわたしの名前「のりえ」から来ています。

のりえはローマ字で書くと、Norieです。

 

子どもの頃に一時にアメリカにいたことがあったのですが、その頃わたしは「のりー」と呼ばれていました。

 

英語圏の人はrieのスペルを見ると「リー」と発音したくなるようです。

ふぁくとりーNorieではそのまんま過ぎると思ったので、その頃を思い出してスペルはNolleyとしました。